高敞牟陽城祭

高敞牟陽城祭

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高敞邑城は牟陽城とも呼ばれ、高敞郡南側にあるチャンテ峰(108m)に左青龍・右白虎の姿勢を最大限に用いて築造した城である。この城は、石を母材をして築いたのではなく、かど継手の工法で築造した。そのため、石は表にのみ積まれており、中身は土と荒石などで充填されている。東、西、南、北の三門と66カ所の雉、水口門2ヶ所、甕城などがある。朝鮮時代邑城でよく見られる、六方面に虹霓門を開けて譙楼を立てる方式とは異なるため、城郭の研究において良い資料とされている。北門は2階建てのような高殿造りで、階下の御間には語幹には穴をあけた横木がある。

東軒と內衙(役場)

朝鮮時代の各村には、中央から派遣された守令が政務を処理する建物を「東軒(トンホン)」と呼んでいた。東軒の隣には、内東軒(ネトンホン)または内衙(ネア)と呼ばれる、守令の官舎も建てられた。この東軒には書芸家ファン・ウク(黃旭)による平近堂という堂号(又の名)が書かれた扁額がかかっている。

客舎(牟陽之館)

朝鮮時代には、各村に客舎という官衙があり、朝廷(中央政府)から派遣された役人の宿舎として使われた。客舎中央には王を象徴する殿牌が祀られ、毎月一日と十五日、また国の祝い事などがあるときには、宮殿方向を拝み御礼をした。

踏城遊び

「踏城遊びで無病長寿しましょう」城を一周すると足の病気が治り、二周すると無病長寿し、三周すると極楽昇天するという伝説が伝わり、閏月には婦女子の踏城遊びが行列をなす。その中でも6つ目の日が黄泉の門が開かれる日といって、6日、16日、26日には踏城の行列がピークとなる。城を回る時には手のひらサイズの石を頭に乗せて3周をしなければならない。三周をした後は、頭に乗せていた石を城の入り口に置いておく。そして、直接育てた五穀を白紙の中に伸ばして三礼をして、自分の希望や無病長寿を願う。

  • 期間 来年10月頭
  • 場所 全羅北道高敞郡高敞邑モヤンソンロ1